2016年8月21日日曜日

事実、インターネットはつまらなくなった。

こういうことを言うとおっさんの懐古趣味とか言われるだろうが、やはり20世紀のインターネットは光り輝いていた。ちょっと気持ち悪く怪しげな光であったろうけど。

それが、今となっては路傍の石のごときつまらないコンテンツで溢れかえっている。

理由は簡単で、広い意味で商業になったからだ。

20世紀頃のインターネットには、テレビ局や新聞社の公式サイトなどほとんどなく(特に国内には)、またアフィリエイトというものも少なかった。存在しても、そもそものトラフィックも少ないので大した収入が見込めるものでもない。

ブログさえもなく、HTMLをせこせこ書いて、時間単価がバカ高い低速回線で一生懸命、小遣い稼ぎにさえならないホームページを作成していた人達の動機は、ただただ「俺の話を聞いてくれ」ということだったのだと思う。

友だちに話すのでは飽き足らなかったり、内容的にちょっと憚られたりするけども、自分の心の裡だけにとどめておくことが出来ない何かを、不特定多数の人間に公開したいというそればかり。一応、「アクセスカウンター」なんてものはあったが、その数字にそこまでの価値があるわけでもなく、とにかく書きたいという気持ちがホームページ作成というクソ面倒くさい作業を無償どころか出費までして行うモチベーションだった。

だから、内容は玉石混交だったけど、ひとつとして同じページはなく、そしてほとんどのサイトが良くも悪くも何かしら尖った主張をしていて、退屈しないものがあった。

ところが、ブログ以降のツールと快適環境に加えて、アフィリエイトその他、トラフィックをまとまった収入に変えることが素人にも比較的現実的に可能になったことで、爆発的に増えたネット上のコンテンツは「読者」におもねるようになった。

目的は自分の主張ではなく人集めなので当然だ。それ自体が悪いというわけでもないのだろう。けれど、それによって、「皆が気分を悪くしないようなことを言う」という、現実生活そのものなコンテンツが増えたし、あげくのはてにコピーが氾濫している。何か調べれば、1ページまるまる同じようなサイトが いくつも引っかかってくるし、それなりに編集されているように見えるサイトでもよく見ればいくつかのサイトのパラグラフをつないだ程度のものでしかなかったりする。

テレビや漫画の感想サイトなども、昔からあるような本当に自分が面白いと思ったものを面白く紹介しているところももちろんあるのだが、一方で、明らかに広告・アフィリエイトのタネとして流行りそうな番組について、どこぞからクレームが来ないように配慮した当たり障りのない内容と検索向けキーワードだけ散りばめているような、読んだところでクソの役にも立たないサイトが随分と目につく。


要は、他人の作ったコンテンツの残飯リサイクルみたいなサイトがあまりに多い。

もちろん、そうではないコンテンツもたくさんあって、インターネットの「個人が情報を発信できるツール」としての力そのものはそう衰えたと思わない。けど、その周囲を埋め尽くすゴミがやたらに多くて、なんだかため息が出ることがある。

なので、インターネットには昔にも増して面白いコンテンツというのもある一方で、やはり「おもしろさ」の平均値のようなものは下がっていると思う。


コンテンツのクオリティが低いというだけでやたらと規制や排除が出来るものでもないし、そういうことはまた良いこととも思えないので、まあ仕方ないという気もするが・・・。法律破ってるわけじゃないし楽して儲かるならいいだろう?という人間というのは絶対にどこにでも出てくるし、きっと未来永劫いなくならないのだろうと思うとちょっと嫌な気分になる。


せめて、Googleには本業の検索でもうひと頑張りしてもらって、そういうコピペアフィリサイトみたいのを検索結果のずっと後ろの方に飛ばせるようになってもらいたいなと期待している。

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